拡大(帯なし)
拡大(帯なし)

イリアン 森と湖の祭り

原題:Romo Rahadi

著者:Y・B・マングンウィジャヤ
訳者:舟知 恵


ジャンル:小説(インドネシア現代文学)
四六判(タテ188mm×ヨコ128mm) 上製本 371頁
定価:本体2,500円+税
ISBN 978-4-89618-025-1 C0097
2000年7月1日発行
装幀:菊地信義


現代インドネシアを代表する作家の長編小説。邦訳は3作目。森と湖に覆われ、裸のままに暮らす人たちの住む、辺境の島イリアンが舞台。悩める神父ラハディの愛と再生の物語。


「訳者あとがき」より
 本書は、1960年代後半、スハルトがインドネシアの実権を握ってからまもない時代の物語である。インドネシアは一つ、と言われていたが、実はインドネシアはジャワ島のことであって、それ以外の外島は括弧つきのインドネシアだった、というのが現地の人々の実感であったかもしれない。
 南太平洋に浮かぶ「暗黒大陸」イリアン(ニューギニア)もそうである。真ん中を人為的な直線の国境で区切られたこの亜大陸は、西側はインドネシアのイリアン・ジャヤ州(現在はパプア州と西パプア州に分離している)、東部は独立国パプアニューギニアである。そのイリアン・ジャヤ州に一応州都ジャヤプラを置き、州警備のための国軍を駐留させるのは、インドネシア政府の精一杯の体面であったろう。
 そういう僻陬(へきすう)の地は、よくも悪くもミッション(布教活動)の第一線となる。その任務を肌で感じ、かつ文明の世界で教育を受けた、本書の主人公ラハディ神父は、信仰と自分の内面の精神的矛盾に悩んだ。それをこれだけリアルに描き切ったのは、人間というものに寄せる作者のつよい関心の現われと言わねばなるまい。この作品が公けにされた当時、ラハディ神父はすなわち、神父である作者自身ではないか、という取沙汰が多かったそうである。
 [中略:ここで作者の経歴が述べられる]
 こうして彼はカトリックの神父であり、フリーの建築家であり、ガジャマダ大学の講師を務め、エッセイストとして新聞や雑誌に筆をとるという多面性を持つに至る。ふだんはジョクジャカルタの街を流れる川の橋の下に住み、底辺の人々の中で生活した。そして市街整備のために計画された、スラム街強制取り壊しの回避に当たったり、ソロ川上流に計画されたクドゥン・オンボ・ダム建設の際には、立ち退きを迫られた地域住民たちの擁護に奔走し、その活動の経緯を国外にまでアピールするなど、彼の名は行動する神父としていよいよ知られてきた。ロモ・マングン(マングン神父さん)、人々は親しみをこめて彼をそう呼んだ。
 しかし作家としての出発はたいへん遅く、はじめての長編小説『嵐の中のマニャール』を世に送り出したのは、彼52歳のときであった。これはバンコクで1983年の東南アジア文学賞を受けている。また、そのころから新聞に連載されていた『ロロ・ムンドゥット』が映画化され、続く『グンドゥック・ドゥクゥ』『ルーシー・リンドリ』との3部作では、マタラム王朝時代を背景にした歴史小説を仕上げている。そのほか、短編集、評論集など枚挙にいとまがない。

 わたしがマングンウィジャヤの作品を訳すのは、『嵐の中のマニャール』『香料諸島綺談』についで、本書が3冊めである。どちらかといえば歴史小説的色合いの濃い前2冊に対して、本書は人間の内面的なテーマを扱った現代小説として、作者の文学観をより明瞭に読み取ることができよう。そしてここには、遠藤周作の『沈黙』などから受ける深沈とした想念の世界とはちがって、同じような内面的世界を取り扱っていても、あくまで明るい南国の人間的心理が浮かび上がっていることを、感じ取っていただきたい。
 

▶︎目次
1 飛行機
2 港湾
3 密林
4 山の湖

▶︎著者プロフィール
Y・B・マングンウィジャヤ(Yusuf Bilyarta Mangunwijaya)
1929-1999。インドネシアのアンバラワに生まれる。神学校を卒業後、ドイツで建築学を修め、アメリカでヒューマニスティック・スタディーを学び、カトリック神父、建築家、大学教師、社会運動家、そして小説家として活躍。1981年のデビュー作『嵐の中のマニャール』(邦訳/井村文化事業社)で東南アジア文学賞を受賞。『香料諸島綺談』(同/めこん)などの歴史小説のほか、多くの短編集、評論集がある。

▶︎訳者プロフィール
舟知 恵(ふなち めぐみ)
1926-2008。奈良県に生まれる。歌人、翻訳家。マングンウィジャヤの上記2作品のほか、主な訳書に、現代インドネシア詩集『恋人は遠い島に』(彌生書房、日本翻訳文化賞受賞)、Nh・ディニ『エリサ出発』(段々社)、アイップ・ロシディ『祖国の子へ』(踏青社)などがある。また、著書に『秋のない国』『草の輪郭 歌集』(踏青社)などがある。