歌集ページの表記例(日本語、ローマ字表記、英訳の順)
歌集ページの表記例(日本語、ローマ字表記、英訳の順)

原爆の歌

河野英子歌集

著者:河野英子

編訳者:河野優三枝

英訳者:アリエル・オサリバン


ジャンル:短歌

A5判(タテ210mm×ヨコ138mm) ソフトカバー 152頁
本体価格2500円+税
ISBN978-4-89618-071-8 C0092
2023年4月20日発行
装幀:渡辺美知子

カバー作品「ブロンズのボタン」:河野優三枝作


広島で被爆した人びとへの鎮魂歌。80年近く前に詠まれた悲しみの歌が、英語の衣をまとい、遠いカナダからよみがえる。

 

 1945年8月6日、アメリカ軍の原子爆弾投下で焦土と化した広島の街を、夫と次男を探し求めて、ひたすらさまよい歩く。ほとばしり出る悲しみの歌の数々をひそかに書き留め封印し、被爆しながらも生き延びた長男と、いっしょに疎開していて助かった3人の幼い子どもたちと松江に生きる。
 時を経て、第一歌集『路』の中で明かされた「原爆の歌」、60首。原爆のことを子どもたちに知ってもらいたいという、母の切なる思いは伝わり、長じてカナダに移住して画家となった末娘の胸のうちで、いつしかふくらんで、それら60首の歌を英語に訳して元歌に添え、一冊の本にして、多くの人に原爆のことを、そして、ある家族の戦後の歩みを知ってもらおうと思い立つ。はからずも彼の地で出会った詩人との、感覚を研ぎすました長いやりとりの末に歌の翻訳は成し遂げられた。
 最後に、ふたりの労をねぎらうかのように、のちにアメリカに渡り学者となった長兄から手記が寄せられ、80年近い歳月を経て初めて、被爆前後のいきさつが詳しく明かされる。全編、英語の対訳付き。

 

▶︎目次

はじめに  河野優三枝

翻訳者のことば  アリエル・オサリバン

序文  河野英子

 

原爆の歌  Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ (日本語・日本語のローマ字表記・英語訳の順に表記)

 

おわりに  河野稠果/愛子・デイ

附録  原爆の歌(日本語縦組み)



▶︎著者プロフィール(略歴は刊行時のものです)

河野英子(こうの・ひでこ)
1911(明治44)年、島根県浜田市井野に生まれる。生家(椿家)は曹洞宗三宗派の一つの禅寺、報恩寺。
実践女学校を卒業後、1929(昭和4)年に河野通利と結婚し、広島市に移り住み、4男2女の母となる。四男の通影は1940年に乳児で死亡。
1945(昭和20)年8月6日、アメリカ軍の広島への原子爆弾投下により、夫と次男宏臣を亡くす。
戦後、広島で被爆しながら生き延びた長男稠果と、いっしょに疎開していて助かった他の3人の子どもたち、祥三、眞理子、優三枝の5人で、島根県松江市に移り住み、料理店を営む。
子どもたちの成長を見届け、1995(平成7)年に没す。
生涯を通じて短歌に親しみ、著書に第一歌集『路』(1967年)と『草の実』(1989年)がある。

 

▶︎編訳者プロフィール

河野優三枝(こうの ゆみえ)
カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州ビクトリア在住の画家。主に鉛筆画、油絵、テンペラ画を制作する。
1944(昭和19)年、広島市生まれ。河野英子の次女。
1963年に東京の女子美術大学を卒業し、1973年にカナダに移住。バンフ美術大学、ニューヨーク美術大学、スコットランド彫刻工房などでのほか、数多くのワークショップに参加。カナダ文化庁賞ほか多数受賞。個展、グループ展をカナダと日本で定期的に行い、作品を発表。作品は、www.yumiekono.com で閲覧できる。


▶︎英訳者プロフィール
アリエル・オサリバン Ariel O’Sullivan
カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州ビクトリア在住の俳優、パフォーマンス詩人、アーティスト、画廊企画者。
1944年、カナダ、オンタリオ州トロントに生まれる。バンフ美術大学、ビクトリア美術大学の学位を取得。オンタリオ州、ブリティッシュ・コロンビア州ビクトリアで若者劇場、音声のワークショップを受け、ビクトリア美術大学でアニメ制作者のために演技の指導をする。河野優三枝との共演を含め、カナダ国内全域にわたる数多くの場所で自作詩のパフォーマンスを行う。